徒然日記:コロナで変わる「接触価値」について考える
コロナ禍の拡大は、私たちの生活そのものを大きく変えていますが、その変化の根本的なものが「接触価値」だと思います。
「接触価値」を、誰か・何かと接触することによって得られる価値、と定義したときに、エアショーの「接触価値」と今後のあり方を勝手に考えてみます。
私はサラリーマンですが、会社もコロナを受けて「在宅勤務をベースに」という方向です。資料を作ったり、会議をしたり、そういったことは、確かにFace to Faceと同水準のクオリティを確保できている気はします。
けれども、明らかに対面で接触したほうがいいと思うものもあります。たとえば、
・ブレストなど、みんなでディスカッションするもの
・新しいプロジェクトのキックオフなどで顔合わせをする場合
・相手の考えや意向をくみ取ることが重要なミーティング
・「わざわざ来てくれた」ということが重要なミーティング
などなど。
ただ、こうしたものは、もしかすると非対面でのコミュニケーションツールが進化すれば、かなり接触の必要性が下がるのかもしれません。これが「接触価値」です。
では、エアショーについて考えてみます。
エアショーを始め、さまざまなイベントや旅行などは、実際にそれを「体験」するということ自体が価値になっています。
その価値とは、人間の五感に訴えるもの、味覚、聴覚、視覚、触覚、臭覚を駆使して、その事柄を味わうということだと思います。さらに、他者との共感・コミュニケーション、非日常を経験することによる「特別な時間」を過ごすことによる気分の高揚を味わう、といったこともあると思います。
海や川に行って、打ち寄せる波の音を聞いて心を落ち着け、冷たい水の感触を楽しみ、広大な海を見て異国に心を馳せ、磯の香りとおいしいシーフードを楽しみ、といった感じです。
エアショーの場合であれば、
・エアショーの詳細を確認して、いつ、どうやって、そこに行くかを考えて、調べる。
・天気がどうなるかを調べ、はっきりしなくて、やきもきする。
・ショーの前日は、近くの宿に泊まり、ご当地グルメを堪能する。
・当日、エアショーの会場まで、何らかの交通手段で移動する。
・基地に到着し、その観客の多さに圧倒され、基地に入るのに炎天下で1時間以上も列に並び、いい加減勘弁してくれ、と思う。
・夢にまで見た快晴に恵まれ、戦闘機の放つ、腹まで響く爆音を堪能し、大空に描かれるダイナミックなハートを見て、その美しさとスケールに感動する。
・まさかの雨に降られ、絶望に暮れて、エアショーは早々に切り上げ、やけ酒を飲む。
・映像や写真に収めるか、今このリアルを目に焼き付けておくか迷いながら、結局は、カメラに気をとられ、リアルでも見逃しつつ、いい写真も撮れずに、オレはアホだ、と思う。
・日陰の少ない炎天下で、やっとのことで冷たいジュースを手に入れ、生き返る。
・基地のならではグルメを手に入れようとするが、混んでいて買うことができない。
・トイレ渋滞にはまり、ギリギリで間に合う。
・夕日の中、帰投していく航空機を眺めて、改めて感動し、感謝する。
・帰りの混雑回避のため、疲労感を感じながらも、ひとつ先の駅まで歩くことにする。
・帰宅後、写真や映像を眺めて、思い出に浸る。
こんなのが私のエアショーです。
ここには、多くの「接触価値」が存在します。その「接触価値」が自分のメンタル面に与える影響は極めて大きく、仮に「接触」しなかったら、絶対にその気持ちにはなりません。
私はYou Tubeなどで、エアショーの映像などをよく見ます。しかし、実際にエアショーに行った際に味わう感動や高揚感は、全く感じません。あえて言えば、「きっと感動するだろう」ということを想像して、わくわくはしますが。
こうやって考えてみると、以下に挙げたものが、エアショーにおける「接触価値」として、私が特に重要視しているものです。
・航空機の爆音 映像などでは味わえない腹に響く感じ、近づいて去っていく抑揚など
・スケール感 映像では到底わかり得ない、空の広さや、飛行機のスピード感
・ワクワク感 ついに飛行機を見れるぞ、というハンパない高揚感
・周囲との共感 みんなとても楽しみにして来たんだろうな、そして一緒に目の当たりにできたという価値感の共有
エアショーに行けない中、改めてエアショーの魅力を考えてみると、その場に参加することなく、その感動を味わえる方法はないと思います。
一方で、このBlogでも書いていますが、「いかに楽に行くか」「いかに混雑回避するか」という意味では、私にとっての「接触価値」はゼロです(苦労していくことが、ワクワク感を高める役割を果たしているとも言えますが)。そういう意味では、「密」を避けるべきであるコロナというものが、「いかに混雑を回避してエアショーを開催するか」という非常に解決困難な問題に対して、何とかして解決せよ!と迫っているとも言えます。逆に言えば、コロナがなかったら、基地に行くまでの混雑地獄は、「解消不能」と放置されていくことになっていたかもしれません。
とにもかくにも、エアショーの「接触価値」はとても大きく、この価値が損なわれることがない限り、リアルなエアショーは続くと思います。
いつの日か、MR(Mixed Reality)などが進化して、家に居ながらにして、腹に響く重低音を再現して、周囲と共感を得ることができるような技術が一般的なものになるかもしれません。その時の「接触価値」がどう変化するのかはわかりませんが、少なくともしばらくの間は、リアルなエアショーはファンを魅了し続けることと思います。
近いうちに、「『密』を回避してエアショーを開催できるか!?」を勝手に考えてみたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。